梶原性全(かじわらしょうぜん)は頓医抄(とんいしょう)や万安方(まんあんほう)を著した鎌倉時代{文永3年(1266年)~建武4年(1337年)}の僧医です。
「頓医抄」は和文で書かれた最初の医学全書で内臓図も収められています。
頓医抄 (一部) |
「万安方」は漢文で書かれており内容は頓医抄とほぼ同じです。
しかし、その生涯は不明で、出身地も相模国ということはほぼ間違いなさそうですが、相模国のどこかは不明です。そのため、出身地に関していくつかの説があり、その一つが「寒川町出身」というものです。残念ながら資料は残っていないようで、定かではありません。
作成日 | 資料名 | 作者 | 説 |
---|---|---|---|
昭和31年(1956)3月1日 | 『日本医史学雑誌』第6巻第2号 梶原性全の生涯とその著書(1) | 石原明 | 梶原平三景時の子孫で相模国鎌倉郡梶原郷の出身。 |
─ | 桑ケ谷療養所跡 (kuwagaya-ryooyojou-ato)の石碑文の説明 【桑ケ谷療養所の医院長・梶原性全について】 http://amigokamakura.sakura.ne.jp/ishibumi/501-kuwagaya-ryooyojou-ato/setumei-bun-501.html | ─ | 梶原性全は文永3年(1266)神奈川県寒川町一宮・岡田で生まれる(*1)。梶原景時の末裔。 |
昭和56年(1981)11月3日 | さむ川その昔を語る 第4集「寒川の文化と梶原三子伝」 | 小澤彰 | 「文永3年(1266)に相州岡田に生まれた」と皇国名医伝に見えます(*2) 。 石原明氏は高座郡岡田村としています(*1)。 京都の医師半井尚氏から「梶原性全、相模国一之宮ニ生ル」との知らせを得たので、やはり寒川の岡田が正しいと思います。 |
[注釈]
*1: 出典を確認することができなかった。
*2: 皇国名医伝「性全」の項(国立国会図書館デジタルコレクション「皇国名医伝. 前編 中、下」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777781])には「和気氏之族」とあり、「岡田」の文字は見当たらず。
皇国名医伝「性全」 |
最終更新日:2022.2.20
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