「陣屋跡」は誰の陣屋の跡? (寒川町倉見)

倉見ちびっこ広場の説明板によると「高木清方の屋敷(陣屋)があったと伝えられています」とのことです。
しかし、新編相模国風土記稿によると「高木氏宅跡 村の北にあり」とのことです。
新編相模国風土記稿 高木清方

ちびっこ広場を「(倉見)村の北」と呼ぶのは少し無理があるように思います。
「高木清方の墓」の説明板には「この地に住居を構え」と書いてあります。
[高木清方の墓 説明板→https://sa-cultural-assets.weebly.com/takagi.html]
「この地」が何を指しているか不明ですが、倉見全域では範囲が広すぎます。「この地」が「高木清方の墓」がある場所なら「村の北」と符合します。
では、ちびっこ広場は誰の陣屋跡なのでしょうか。「倉見才戸遺跡 第11次発掘調査報告書(*1)」によると、ちびっこ広場で障子堀が発見されています。
[寒川町ホーム>>埋蔵文化財>倉見才戸遺跡↓
倉見ちびっこ広場、障子掘、陣屋跡 説明板

この障子堀は後北条時代の類例と近似しているそうです。後北条時代に倉見を治めていたのは山中彦八郎です。ということは、山中彦八郎の陣屋があった可能性があります。
山中彦八郎の陣屋は「大村地番756が居館跡と考えられる」という説があります(*2)。大村とちびっこ広場は近くです。
いずれにせよ、確かな史料は見つかっていません。しかし、高木清方の陣屋跡というより、山中彦八郎の陣屋跡の方が可能性が高いように感じます。

[出典]
*1: 神奈川県高座郡寒川町 倉見才戸遺跡 ―第11次調査 発掘調査報告書― (2010.3.31)
*2:「倉見神社之一考察」池田銟七 平成10年
https://sites.google.com/site/samukawabookindex/kuramijinjya

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