更新日 2019.6.17
西善院には相模国準四国八十八ケ所の弘法大師座像が2体あります。当初は62番札所薬王寺と、73番札所神照寺に安置されていました。
薬王寺と神照寺が廃寺になったため、現在は西善院に安置されています。
2体とも一つの太子堂内に安置されています。
西善院 相模国準四国八十八ケ所 弘法大師座像 62番 73番 |
2019.6.13時点の台座は、左73番、右62番になっています
西善院 左側の弘法大師座像の台座 |
西善院 右側の弘法大師座像の台座 |
しかし、台座と弘法大師座像が合っているか不明であり、台座も時期により左右反対になっていたりします。
「寒川町史 11 別編 美術工芸 1992年11月1日発行」によれば、
左側の台座:左側面 文政三年十一月吉日、右側面 四国八十八ケ所 豫□一宮写(*1)
右側の台座:不明
です。右側の台座:不明
写真で見ても、「寒川町史 11 別編 美術工芸」と「2019.6.13時点」で台座が左右入れ替わっていることがわかります。
寒川町史11 西善院 準四国弘法大師座像62番、73番 |
相模国準四国八十八ケ所を扱った多くの資料では、どちらが62番でどちらが73番か触れていません。
○三木洋著「相模国準四国八十八箇所 弘法大師石像をめぐりて」1983.10.15
P71. 62番 宮山村 薬王寺 今、この西善院にある62番、73番の大師石像は共に首が地蔵尊か何か別のもので補修されている。
(左右どちらが62番、73番に触れていない)
○寒川町史 11 別編 美術工芸 1992.11.1
P507.(左右どちらが62番、73番に触れていない)
○広田富治著「郷土の石碑 梶原景時管見」1994.5.3
P2.(1987.6~タウンニュース)連載4 徒然想④「準四国の大師さん」
(左右どちらが62番、73番に触れていない))
○樋田豊宏著「相模国準四国八十八ヶ所」2004.3.1
P58. 大師像 2体とも首が落ち、後で造った物。粘土のような物で接着してあるので何となく異様な感じがする。明治の廃仏毀釈の折りの犠牲ではなかろうか。2体とも銘文がないので、どれが薬王寺、神照寺の物かわからない。
○[PDF]鵠沼を語る会「相模国準四国八十八ヶ所」2010.4.30
http://kugenuma.sakura.ne.jp/sagami88.pdf
二体あるがいずれも銘はなく、左右いずれが何番かは不明。
結論
どちらが62番、73番か不明。
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*1: 「豫□一宮」とは、豫州一宮、即ち、一宮大明神のことと思われます。
江戸時代までの四国62番札所は一宮大明神(現・一之宮神社)で、別当の宝寿寺が納経を司っていました(*2)。相模国準四国八十八ケ所を作ったのは、この時代でした。
現在は四国八十八ヶ所霊場会と宝寿寺間で争いがあり、四国八十八ヶ所霊場会の62番札所は香園寺管理地内
http://www.88shikokuhenro.jp/62reihaijyo/
にあるそうです。
四国八十八ヶ所霊場会と宝寿寺間の争いについては
「四国お遍路八十八霊場」に異変、”62番目”が2つになる!?
http://news.livedoor.com/article/detail/12904222/
をご覧ください。
*2: 四国62番 一宮大明神・宝寿寺〈文政8年〉
https://blog.goshuin.net/1825_01_088/