古代の水路(小出川、目久尻川)と寒川

下寺尾廃寺(茅ヶ崎市)の近くを流れる小出川岸で川津遺構が発見されています(*)。
また、海老名国分寺、国分尼寺の近くを流れる逆川(さかさがわ)は、目久尻川に繋がる運河ではないか、という説があります(*)。
目久尻川は高座郡司壬生直氏の屋敷や寒川神社の近くを流れていました。
相模川と目久尻川に挟まれた場所で8世紀後半から11世紀前半にかけての集落址(宮山中里遺跡)が発見されています。
下寺尾廃寺、国分寺、国分尼寺の屋根瓦は、この両水路を使って運ばれたのではないか、という説があります(*)。
主要な建築物や集落は水路の周辺にできていました。
現在の川からは想像できませんが、かつて舟が上り下りしている様を思い浮かべると、奈良・平安時代の寒川を偲ぶことができるかもしれません。

[出典]
*:鈴木靖民 他 編「日本古代の運河と水上交通」2015.5.20 八木書店 p303 田尾誠敏「相模国における運河と水上交通」