大森菊池泰定母宝篋印塔の変遷


大森菊池泰定の母親の宝篋印塔は元亀元年(1570)(武田信玄が小田原の後北条氏を攻めた後、兜を寒川神社へ奉納したと思われる永禄12年の翌年)造立されました。(→寒川町歴史年表)
台座裏面に「信州井上氏息女 本姓大森 菊地下総守 藤原泰定 母」と彫られています。
寒川町内では古い方の宝篋印塔です。
慶長2年(1597)、この宝篋印塔の近くに車地蔵堂が建立されました。
寒川町史が編纂された頃には、地蔵堂の脇に建てられていました。
(→車地蔵)
寒川町史調査報告書「9」p179より 右側が車地蔵堂
2011年2月時点の車地蔵堂脇の宝篋印塔
2012年7月時点の車地蔵堂脇の宝篋印塔
その後、分解されたままになっていた時期がありました。
{貴重な歴史(文化)遺産が粗末に扱われるのは残念です。}
2014年5月時点の車地蔵堂脇の宝篋印塔
2015年2月時点の車地蔵堂脇の宝篋印塔

2018年8月、生往寺へ移築されました。(→生往寺)
2018年10月現在、生往寺内宝篋印塔