釣手土器(吊手土器、香炉型土器) 展示 寒川町観光協会

寒川駅前公園の一角にある、寒川町観光協会[→ホームページ]で、縄文時代の釣手土器(吊手土器、香炉型土器とも言われる)が展示されています。
下記は掲示内容の一部です。

●謎の釣手土器
釣手土器とは縄文時代中期に出現した縄文土器の一種です。浅鉢形で胴体口縁部に把手が付けられた土器です。把手の部分に動物や人面などの装飾を伴うものや、祭祀に関連したものとの共伴で出土することもあり、その奇異な形から祭祀に関連した土器とも考えられています。把手には懸垂のためと思われる孔が設けられていることもあり、内面に炭化物等の付着や黒色変化が認められる出土例があることから、灯火具(ランプ)や防虫香炉であるとも考えられています。
釣手土器は、どの遺跡からも発見されるわけではありません。またあったとしても、一つの遺跡に一つが普通です。それが、岡田遺跡からは5点も釣手土器が発見されています。これは県内で最多の出土数、全国的に見ても数例しかありません(*)。
特に116住居から出土した釣手土器は、平成24年3月に岡田遺跡を代表する土器として、寒川町指定重要文化財第20号に指定されました。116号住居から出土した他の土器はもっと新しい時代の土器と思われ、釣手土器は何世代かにわたって大切に伝えられたものと考えられます。ほぼ完形であり、その見た目は人間や動物の顔や仮面などを思いおこさせます。また真上から見ても顔のように見えます。
はたして釣手土器の本当のモチーフはなんだったのか?縄文人の芸術とは?何のために大切に守られていたのか?みなさんも想像してみてください。
町指定重要文化財になっている116号住居出土の釣手土器や、1999年調査時の6号住居出土の釣手土器は、ほとんど完形であり大切にされていたことがわかります。これに対し1999年調査1号土坑出土の釣手土器は、バラバラの状態で土坑(穴)から発見されました。他の2点の釣手土器も一部しか発見されておらず、同じ釣手土器なのに取扱い方が正反対とも言えます。
釣手土器は祭祀や儀式に使っていたとも考えられます。何世代かに渡り大切にされていた釣手土器もあれば、対してバラバラの釣手土器もあります。バラバラの釣手土器は役目を終え穴に捨てられたのか?それとも何か呪術的目的で封印されたのか?なぜこんなに沢山の釣手土器が岡田遺跡には存在しているのか?謎は深まります。
(*:感想-岡田遺跡は全国でも有数の規模の遺跡です。集落規模で考えると、複数の釣手土器が存在していても妥当なのかもしれません。)

●岡田遺跡と釣手土器(縄文時代が熱い! 日本一の巨大集落?!)
東京国立博物館で開催された特別展「縄文 一万年の美の鼓動」が連日大盛況だったことは皆さまご存知かと思います。
また、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産候補として世界遺産暫定一覧表に表記されるなど、世界的評価も高まっています。
そんな熱い縄文時代の遺跡がこの寒川町に、それも、あの有名な三内丸山遺跡に、ある意味匹敵するほどの日本最大級の集落があったことをご存知ですか?
その遺跡は岡田遺跡。
そしてそこから出土した、ふしぎな縄文土器が、釣手土器です!

2018.10.6 更新